2010年 6月 27日の投稿一覧

へーゲル「精神現象学」、経過報告 1年が経ちます ♪

相変わらずむずかしい。来月の日曜日には「へーゲルを読む会」の新年度が始まる。新年度だが、すでに『自己意識』にはいっているのだ。

本論の構成は、

☆A 意識

一 感覚的確信 このものと思い込み

二 知覚 物とまどわし

三 力と悟性 現象と超感覚的世界

☆B 自己意識

四 自己自身の確信の真理  (今回はここなので少し細かい目次を・・・)

1.自己意識自体

2.生命

3.自我と欲望

A 自己意識の自立性と非自立性

1 二重の自己意識

2 対立する自己意識の争い

3 主と僕

α 主

β 恐れ

γ 形成

今回はここまで、次回は

四 自己意識の確信の真理 の B 自己意識の自由 ストア主義と懐疑論と不幸な意識 、です。ここからは8月例会です。

(樫山欽四郎さんの訳本を使用している)

上記のB 自己意識の自由 ストア主義と~ が終わると 大見出し ☆C の 理性 に入っていきます。高い山はなかなか頂上の姿を見せません。

今回の「自己意識」ではそれまでの単純な対象から二重の対象性について触れています(触れているようです)。

「自己意識は真理のふるさとである」そういう言葉が始めのところで出てきました。意味は分かっていませんが意味深な言葉ですよね。

この「精神現象学」というのは『意識の経験の学』という副題がついているように『経験』を通じて、人間の「意識」の高まり・深まりの成長段階を、段階的にヘーゲルと一緒に階段を上っていく。そんなところが大きな特徴のようです(解説本にはそう書いてありますw)

現在の理解力では、とりあえずヘーゲルさんについていって何処に連れて行ってくれるのか。そんな確認の旅をしていると、格好良く言うとそうなりますか・・・

ただ、上記の『主と僕』のところは有名な節らしく(読んでも分からないが (/_;) ) 期待はしている。

asahi.com(朝日新聞社):マイケルさんファン、路上でゲリラライブ 急死から1年  ←これは勘弁して欲しい (+_+)

asahi.com(朝日新聞社):マイケルさんファン、路上でゲリラライブ 急死から1年 – 社会.

NHKの7時のニュースでもやっていましたが、言いたい事から言うと『死んだ人間を食い物にしている音楽業界』とでも言うのだろうか。

マイケル・ジャクソンって亡くなる前は本当に何処へ行っても児童虐待など、ゴシップ記事の標的だったし、マスコミの報道のスタンスも音楽性ではなかった。

と、思う。

亡くなった人の悪口を言っているのではなく、この盛り上がりはそれを利用しているニュース番組や多分背後に隠れている(いないか?w)業界の意図的なものを感じる。彼が生前あれだけ変人扱いされていた(言い過ぎ?w)雰囲気と映画の再上映とのギャップ。倉木麻衣なんかも大ファンだったとFMで言っていたが、どういうところに影響されていたのかはまるっきり伝わってこなかった。『とにかく全部好きだった』何て言ってた、その番組では。

何が言いたいかというと、多様性に向かっている音楽の世界にまったく逆行しているこのお祭り騒ぎに異論を唱えたいのだ。

マイケルがどうのこうのと言う前に、広く世界を見れば自らの民族的ルーツを元にそれをより普遍的にグローバルに伝えていく地道な努力をしているミュージシャンがたくさんいる。

少し下火になってしまったが、『アイリッシュ』や『アメリカーナ』や、またそれらとも交流しているアフリカの音楽とか。

先日のBeatlesリマスター祭り(^_^;) なんかもそうでしょうか。いい加減過去の終わっている『進化』にしがみつかないで現代のジョン・レノンでも探した方が、というかそれも二番煎じですね (^O^)