2010年 7月 の投稿一覧

春期試験結果

通信教育、春期科目修了試験の結果が出ました。

医学概論は C
成年後見と権利擁護は B

と言う結果で何とか2つとも合格。試しでだめもと受験でしたが医学概論なんかほんとにセーフです(@_@)
もう2度とあの講義を聴かなくて済むというのが一番の試験合格のご褒美な気がします、再来年には国家試験が順調にいけばあるわけですが、小さな1歩です。

つらい

最近疲れて来たなと、つくづく感じる。
内容はそんな気軽な問題ではないのだが。
と言うのもぼくは最近、よく仕事で感情的になってしまう。ぼくの担当の利用者がなかなか大物で、よく問題をおこす。

出来るだけそうならない様に事前に察知し、先を読んで問題を回避する、それが職員のテクニックだと管理者は言う。

対象者はまだ若く20代前半だ、こちらは今年4回目の年男。他にも6名の担当を持ち、一日終わると心身共に疲れ消耗してしまう。と言うか最近は仕事中でも疲れてイライラしてしまい強い口調や手がでてしまう事さえあり、今日は、心療内科で診察を受けてきた。

職員の増員を求めても取り合ってもらえない、今年は新規に仕事を開拓もしたのだが、かえってその負担も重なる。頑張っている職員ほど、潰れやすいこの業界の典型的なパターンだ。

今日は早く寝ようと思うけど、クスリを飲んでもこんな日は余計に頭の中をグルグルと…

こんな事を書く事になるのはさけたいのだが、仕事が辛い。

asahi.com(朝日新聞社):「失われた時を求めて」個人全訳 吉川一義・京大教授 – ひと・流行・話題 – BOOK

asahi.com(朝日新聞社):「失われた時を求めて」個人全訳 吉川一義・京大教授 – ひと・流行・話題 – BOOK.

おっ!結構ニュースだな、3人目の個人訳。

最近の翻訳は評判が悪いものが多く、亀山訳「カラマーゾフの兄弟」野崎訳「赤と黒」とか、両方とも同じ出版社ってのもミソだが。。。

今回はそういうことのないように・・・期待します。

喉が痛い (+_+)

早く梅雨が明けて欲しいですね、このところの蒸し暑さと言ったら、、(-_-;)

昨日は何処にも行かず結局家でねていましたが夜、次女が「あつい」というので熱を測ると7度台後半、今日の夕方には8度台に。今週末の篠島行きが待っています、ここは子どもの信じられない遊びに行きたい心を信じて、とにかく子どもは置いておいて親の健康が一番大事!

そんな親の自分は喉が痛く、今日は「葛根湯」のお世話に。よく効きますが常用すると肝臓に悪いのだそうで、まあ薬なんていうのはそういうものですが。

お天気もちょうど今週末あたりが梅雨明けの境目らしく、夕方の週間予報では日曜から晴れ(+_+)

きのう見たら土曜の午後から晴れってでてたのに、、まあ、雨でも時々晴れるでしょうから行きますが。

来月のミニミニコンサートには出る予定なんだけど、まったく練習が出来ていない(/_;)

きのう過去のyoutubeを見ていたんだけど、やっぱり恥ずかしいナー。恥ずかしがってるって事は少し気持ちに距離が出てきているよな、と思い練習しないと。一人ではなかなかなので今週末に合宿を終えたIFJのみなさま優しくお付き合いくださいませ m(_ _)m

少し過去の恥でも貼って置きますか。

このころの初々しさが恋しい (/_;)

7月11日

今日は、一日ごろごろしていた、昨日の草取りで疲れた(^_^;)
来週は篠島に家族で行くので午前中に服やら、ゴーグルやらとホームセンターへ。

昨日他のサイトで本のブックカバーが可愛いので検索して調べると無料で配布されていた。

ブックカバーで検索するととてもたくさん出てくるのにびっくりした。

これはヤマハのサイトで作ったものの一つ。URLはこちら

うーん、こどもに絵を描かせてつくってみようか(^_^)

近況 

今日は、社会福祉援助技術論のⅡとⅢの小テスト2を。公的扶助論は月末からでも間に合う。

最近寝苦しく寝れていない。今週は土日と休みだが知り合いのギターマンドリン合奏団のコンサートがあるので迷っている。「meets」で検索して下さい♪

今年のお盆休み前は学生ボランティアで一杯になりそう、彼らのための仕事も別に確保しなければ行けないので利用者が1.5倍になるぐらいの忙しさだろう、夏祭りで7月24日31日は仕事だし8月まで3週間日曜なしが今年も続くぞ・・・・

選挙にも行かなくては。政見放送を聞いていたら「みんなの党」とかいうとこの候補者が「法人税減税をして元気になって頂かないと・・・」と言っていた。そして、消費税だ。働いても人並みの「ほどほど」の生活さえ危うい社会。逆累進課税の「消費税」を上げて法人税を減税して、いっそこんな国など破綻してしまえ、と思う。

そしたら、目が覚めるのだろうか??

いずれにせよ身を粉にして働かなければ行けないのは同じだが。

「新しい者よめざめよ」とは大江健三郎の昔の小説のタイトルだ、「自己意識」はもう一つの相対する「自己意識」がなければ存在しないとへーゲルは言った。真面目に働く意識には不真面目な働く意識(享楽ともいう)が、絶対的な貧しさの意識にはかなり豊かな意識(きっと有り余って使い道に困るので株や賭博や投機に走る、その意味では貧しい)が、作用反作用のように存在しているのだろう。卑屈な意識には傲慢な自己意識。

田中美智子さんのブログを最近知った。元気だ。1922年生まれでも元気だ。大正11年だ。

障害者基本法だったか、障害者の定義を変えるらしい。障害(障碍)を乗り越えるものとしてでなく「個性」と。

いつからそんなやわな人間になったのだろう、日本人は。

詳細は後日書くが障碍を「個性」と法律で規定するのは大反対だ。障碍も従来の障害でもいいと思うし。この言葉狩り的な発想も思いっきり??なのだが、こんどは個性だ。現状追認も甚だしい。不平等をあらためるためらしいのだが、個人の意識をいじる政治には知性を感じない。

5 CD Original Album

最近amazonでふらふらしていると大概お金を使わされてしまいます(+_+)

今日はタイトルのCDに出会って(?)しまいました。下記リンクです。

ここ

オーティス・レディング

アレサ・フランクリン

マンハッタン・トランスファー

リンダ・ロンシュタット

カーズ

J・ガイルズ・バンド

リトル・フィート

プリテンダーズ

リッキー・リー・ジョーンズ(この人のお顔が大好きなのですが曲はあまり記憶にない)

ほとんど最近の発売だが(アルバムは昔の名盤ばかりですね)

もうひとつ、こちらは2~3年前から?発売されていたらしく輸入盤がほとんどで日本のレコード会社は割が合わなくて発売しない、されたら困る!ってところでしょう。

Original Album Classicsというシリーズです。こちらの方がロックでもマニアックだったり、グールドやジョン・ウィリアムズなどクラシックもあってGoodですね ♪

ソドムとゴモラ

なぜこういうタイトルかというと
フランスにマルセル・プルーストという作家がいる。
代表作は「失われた時を求めて」だろう。

元来がコレクター的な私も、以前新潮社からでていた単行本、鈴木道彦訳と、ちくま文庫の井上究一郎訳の2つを持っている。

最近これのマンガ版が出ているのを知り(母国フランスではコミック版が出ていて、2巻まで邦訳版も出ている)のだが、amazonでコミック版を立ち読みしたら(中身検索とかいうのね)案外面白そうだったので、値段も1000円でおつりが来るぐらいだから買ってみた。

この内容はなかなかショックなものだった、というか面白いものだった。

僕はてっきり哲学的な内容を期待してたのだが、結構通俗的でわかりやすい内容ではあった、あくまでもマンガでの話しだが。

しかし、不思議なものだが内容が分かりかけてくるとこのとてつもなく長い話しを読んで見たくなるものなんだ。

へーゲルを読む会 第2期 第1回例会

あまり意味のない写真です (^_^;)

先日日曜日はへーゲルな例会でした、もう『自己意識』です。自己意識も他の自己意識があって自己意識になる。

自己意識は真理のふるさと。

類。  ←ここらでようやくマルクスとの接点が (^_^)v

主と奴 (主と僕、主人と奴隷)、このお話しはやはり面白かったですね。

関係しそうな訳文をそのまま書き写すと・・・

ところが主は、物と自分の間に僕を押し込み、そのことによってもっぱら物の非自立性とだけ結びつき、物をひたすら享楽する。が、物の自立性の面は、物に働きかけ加工する僕にまかせてしまう。

これら2つの契機に於いて、主は他方の意識によって承認された有となる。なぜなら、この他方の意識は、・・・・そのため初めの意識が自分に対して行う事を、自分で行うという意味で、承認という契機が現存していることになる。

なんだか骨も身もない引用だが、主人は奴隷なしでは主人ではあり得ないし、奴隷が労働をするから「享楽」できる。ここで主人と奴隷の関係が逆転していくという事だそうだ。

主人と奴隷というのがどういう事を指すのか、資本家と労働者、あるいは家庭における夫と妻、支配するものとされるものとの関係に置き換えてみると、、、

身近で家庭などは、家事労働の問題とか、DVやら家庭内の暴力や女性差別云々といくらでも出てくる問題だ。

つよいものはよわいものを力や権威や恐怖にて支配する、奴隷が主人を「承認」するとへーゲルは言っている。ただ、一面的で不平等な承認が生じた、と言う。

「自立的意識の真理は僕としての意識である」。う~ん、書いていて思うがやはりへーゲルは積み上げていかないと理解が出来ない。時間の流れ(歴史)が基本にあるから後から振り返ると、ああそうだったんだ、と分かるんだが。

自己意識についてへーゲルの規定は本当にむずかしく、先生もそう言ってみえた。すこしはしょりすぎ、簡潔にまとめようとし過ぎているとのこと。しかし、自分という意識は、例えば話している自分と、その話している自分を見ている自分という2つの自分があるのだそうだ。哲学者は本当にむずかしく考えるとおもう。こういうことを聞くとつい自分は、一人の人間がパラノイアしているのかと思ってしまうが、一人の人間の二つの側面だそうだ。

本音と建て前。裏と表。確かにそう言うから二面性というのはあるよな、、、(^_^;)

自分の思いも、人類みんなのつまり「我々」の思い。私が辛い思いをしている「辛い」というのも個人的な感情だが人間誰でも持つ感情だ、妙に達観してしまったが。

類的な存在とか。ここに来るまでに自我の問題とかあったな、自我を実体化する問題などすっ飛ばしたな・・・

言いたい事がまとまる前に書き始めると意味がない、ナンセンスなだけだ、まとめる努力をしよ (+_+)

そろそろ夏モードへ

土曜日の今日は地元のフリーマーケットへ仕事で出店して利用者の製品を販売して来ました。

少し人の出が少な気味でしたが、朝からの雨では仕方がないでしょう。

元気なお母さん達の姿を見ていると何だか元気をもらった気がします。