今日は、社会福祉援助技術論のⅡとⅢの小テスト2を。公的扶助論は月末からでも間に合う。

最近寝苦しく寝れていない。今週は土日と休みだが知り合いのギターマンドリン合奏団のコンサートがあるので迷っている。「meets」で検索して下さい♪

今年のお盆休み前は学生ボランティアで一杯になりそう、彼らのための仕事も別に確保しなければ行けないので利用者が1.5倍になるぐらいの忙しさだろう、夏祭りで7月24日31日は仕事だし8月まで3週間日曜なしが今年も続くぞ・・・・

選挙にも行かなくては。政見放送を聞いていたら「みんなの党」とかいうとこの候補者が「法人税減税をして元気になって頂かないと・・・」と言っていた。そして、消費税だ。働いても人並みの「ほどほど」の生活さえ危うい社会。逆累進課税の「消費税」を上げて法人税を減税して、いっそこんな国など破綻してしまえ、と思う。

そしたら、目が覚めるのだろうか??

いずれにせよ身を粉にして働かなければ行けないのは同じだが。

「新しい者よめざめよ」とは大江健三郎の昔の小説のタイトルだ、「自己意識」はもう一つの相対する「自己意識」がなければ存在しないとへーゲルは言った。真面目に働く意識には不真面目な働く意識(享楽ともいう)が、絶対的な貧しさの意識にはかなり豊かな意識(きっと有り余って使い道に困るので株や賭博や投機に走る、その意味では貧しい)が、作用反作用のように存在しているのだろう。卑屈な意識には傲慢な自己意識。

田中美智子さんのブログを最近知った。元気だ。1922年生まれでも元気だ。大正11年だ。

障害者基本法だったか、障害者の定義を変えるらしい。障害(障碍)を乗り越えるものとしてでなく「個性」と。

いつからそんなやわな人間になったのだろう、日本人は。

詳細は後日書くが障碍を「個性」と法律で規定するのは大反対だ。障碍も従来の障害でもいいと思うし。この言葉狩り的な発想も思いっきり??なのだが、こんどは個性だ。現状追認も甚だしい。不平等をあらためるためらしいのだが、個人の意識をいじる政治には知性を感じない。