今回の選挙ほど、小選挙区制度を皮肉に見せつけた選挙はないのではないか。
いや、もしかすると選挙のたびにそういってしまうのがこの制度かも。

やはり死に票の少ない方式にしないと、今回のような選択肢の多い選挙でも結局は「究極の選択」
しか我々は選べないのだと。

野田総理が「わたくしに責任・・・」などと言っているのはうそ八百で、本当は小選挙区制に責任があるんだ。
そして次回の衆議院選挙で同じような究極の「選択」をさせられ「政権交代万歳」という茶番!!

マルクスは「ルイ・ポナパルトのブリューメル18日」のはじめに、「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば2度現れる、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度目は茶番としてとつけくわえるのを忘れた。」

もう選挙に関心なかったのは反面正しく健康的なことではないのか、無理やり行って投票してきた人もそれはそれで大したものだといえるかも。

まずは憲法改正だ国防軍だ核兵器開発のシュミレーションだという前に、「平等」や「公平」という民主主義の手続きの論議をすることから始めないと、気づいていない人には形骸化の空しさだけが残るような、、気がしません?
わたしはしますが。