2016年 11月 の投稿一覧

社会文化学会 第19回全国大会 

14692007_1067547880026238_7427514208139840364_o

 

見出しのイベントの告知をFacebookで知り、断りもなく再掲載。

「社会文化学会」なるものは初めて聞くが、その言わんとするところを少し長くなるが引用させていただきます。

●メインシンポジウム●(10日14~17時半)
現代日本社会における承認問題

【企画趣旨】
「承認」の重要性は、現在では、その出発点であった社会哲学においてのみならず、広く一般にまで膾炙してきているように思われる。それもそのはずで、「承認」は人間の存在および価値に関わり、それなしには安心して生きられないものだからである。現代日本社会の問題を考える際にも、様々な場面で、「承認」の問題が関係していることがわかる。いまだに記憶に新しい、相模原の障害者施設での大量殺人事件において、その容疑者は「重度障害者には生きる価値はない」という趣旨の発言をしていたようであるが、ここには、重度障害者に対する人間の存在価値そのものの非承認が示されている。だからこそ、わたしたちはこの事件に深刻な残虐性を見て取るのである。

 承認論の代表的論者であるドイツの社会哲学者アクセル・ホネットは、承認を、愛情・法権利・社会的価値評価の三つに類型化し、この三つの承認で満たされていることが人間にとってふさわしいあり方であると捉え、承認が満たされない場合には、人間のアイデンティティに深刻な影響を及ぼすため、それを回復させようと「承認をめぐる闘争」が行われるとしている。しかし、このような議論もいざ日本の問題に適用しようとする場合、たとえば、法権利の承認を取ってみると、日本人の場合、そもそも権利意識が低かったり、他国におけるデモ活動と日本のそれを比べてみればわかるように、権利の侵害がなされているにもかかわらず大きな抵抗が生まれないことも多く、その一方では、「空気を読む」という言葉に象徴されるように、自分がどう考えたかよりも周りの評価を非常に気にしてそれに同調し、社会的価値評価を非常に気にする傾向を見て取ることができる。このように、わたしたちが承認の問題を考える際には、たんに原理原則のみならず、そこに日本の社会文化の特殊性を読み込んでいく必要があり、また、その特殊性こそが、社会生活のさまざまな場面で生きづらさを生み出している大きな要因になっているように思われる。

本シンポジウムでは、まずは総論として、ホネットの承認論とその理論的課題について紹介し、次に、具体的に、子ども・若者、社会人、老人という三つの世代に分けて、それぞれの場面で特有の承認の問題を検討する。最近、スマホに依存する子どもが増えてきていると言われるが、すぐに返信をしなければならない/してほしいと携帯の画面から目を離せないような状況はまさに承認に関わる問題であるし、争いごとを極度に避け、たとえ自分の意に反することがあっても、周りの空気に合わせようとする姿勢にも歪んだ承認関係が見られる。社会人生活においても「承認」は重要なテーマであり、若者の短期退職に見られるように、企業は承認欲求での動機付けなしにはマネジメントが成り立たなくなってきており、社員としても、謙譲を美徳とし「出る杭は打たれる」日本社会において認めてもらうためには、単に実力を発揮すれば良いというのはなく、特別な工夫が必要となっている。また、仕事は「承認」の大きな源泉となるが、リタイア後、老年を迎えてからいかに承認関係を築けるかということは、超高齢化社会に入り、孤独死の増加なども問題とされる中、非常に重要な課題である。これらの報告をもとに、理論と実践の場面の双方から、現代日本社会における「承認」の問題を多面的に捉え、承認論の理論的前進を目指すとともに、人間と社会のあるべき姿についてみなさんと一緒に考えていきたい。(赤石憲昭)

「実行委員長 片山善博、副実行委員長 赤石憲昭」というメンバーで、片山先生はお会いしたこともなくヘーゲルの本を数冊持っているぐらいで赤石先生に至ってはお名前も初めて拝見します((+_+))

しかし、上の引用からも言わんとすることはひしひしと伝わってくる。

「承認」というと「しぶしぶ」とか、「いやいや」とか「仕方なく」なんていうイメージを持っている。自分もそんな典型的な日本人の一人だと日常を振り返ると思いつまされることも多い。

そんな反省だかいじけだかはさておき、、、

一番自分に身近なのは「リタイア後、老年を迎えてからいかに承認関係を築けるかということ」、古くて新しい問題かもしれない。しかしリタイヤとは何だろうか?と思う。

今と違う自分に誰もが強制的に変えられるとしたら、それについて準備もしておきたいし、今まで必死に生きてきて(働いてきて)最後がつまらない人生なんて絶対おかしいだろうし絶対嫌だ。誰でもそうだろう。

老後にいかに上手く資産運用するかなんて話は、つまらない。

自分の老いの準備は、自分のためだけでなく自分の周りの人間の為でもあるしそうやって自分の子どもたちも親から学んでいくだろう。

話はどんどんそれていくが、

自分は若い時にかなり準備を怠った(と思う)。わがままで自分勝手で破滅的を良しとして個性と勘違いしていた。遅く結婚し、普通の家庭を持った。子どもができ、ようやく鏡に映る自分を直視できた。迫ってくる義務感・強制は避けるべきものでも批判するものでもなく、踏みとどまって自分自身を実現すべきためのものだった。

もう日付が変わる、

「~からの自由」という消極的な「逃げ」の自由でなく、「~への自由」という自己実現のために踏みとどまって自分を保て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘーゲル伝 ジャック・ドント

2016-11-01-01-14-39 2016-11-01-01-15-10

欲しかったジャック・ドントの「ヘーゲル伝」を中古で購入。

これは大学図書館の除籍本で印鑑を見ると某北海道大学農学部のインクがある・・

 

ジャック・ドントはずばりヘーゲルを絶対王政を正当化した人という定説にとらわれず、資料や自分の足で調査した記録に基づいて彼の生涯を描いている。

現在ではヘーゲルを絶対王政を正当化した人として見る人は少ない、当時の検閲をかいくぐりいかに自分の主張を曲げずに(?)書いたかについての検証。

もうひとつ面白いのは彼の生涯と「精神現象学」の記述が対応させて描かれていることでその初期の感性的認識から認識の発展と「精神現象」の発展を伏線として描いているのがとても面白い。

ただ、日本語の記述が読みのもとしては少し硬く、学術的な面もあり少しそこは慣れが必要かも。