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共謀罪強行採決・この間の与党の強引さと、野党の弱さについて思うこと

 あるテレビで「哲学者」という人が、人間は自らの道徳的判断で行動すると思いたいが、残念ながら、どうも実際はそう行動することが自らに得であると思うからその行動を選択するというのが残念ながら現実だと語っていた。マルクスが経済学を勉強したのもそういう問題意識があったのだと思う。その哲学者はマルクス的な立場のひとではなかったけれど。

だからぼくが思うのは、やはり個人の「道徳律」での行動への期待、これは観念的でしかないのではないか、この間の不条理に対する怒りから個々の「道徳律」に訴えたくなる気持ちは同感で、痛いほど共感するけれど。

しかし、別の面から言うと「共謀罪」を成立させ、「忖度」することが自身の利益になるからそう行動する人間ばかりになるんだと思う。

自分が言いたいのは、個々の個人の内面に訴えることと同時に、不条理・不正を行う事が「得」だという「システム」これにメスを入れることも忘れてはいけないと思う。

メスを入れるという事は、本当にそれが「得」なのか?長い意味で考えたらどういう結果になるのか、現にこの「格差社会」を作り上げてしまったのはそういう「得」するという目先の利益に我も我もと走った結果だ。

そしてこれ(目先の利益しかみえない万人の万人に対する弱肉強食状態)を乗り越えるには、ある種のコミュニティの形成による再教育が必要だろうと思う。

そしてこれをやっているのは一部のNPOかな?(大いに疑問)。

この点はもっと政党、共産党、社民党にもできることはないのかと思う。人間同士の助け合いの組織、現代的なセツルメント?(政治行動だけでない市民運動・学生運動)や協同組合はないのか?と。

人間の同士の連帯・助け合い(これは政府や官僚が言う、共助とか上からのものでなく)の貧しい人たち自身の助け合う事による「人間の本来性の回復実感」できるもの。

それが広がらないと上記「損得システム体系」を現実的な実感として乗り越えていく人間(主体)が形成されないのではないだろうか?