名古屋資本論学習会第3巻 2月

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今日は「資本論」第3巻第4篇「商業利潤論」終わりとまとめ。その後第5篇「利子生み資本」の最初の21章までだった。

印象に残った部分の引用

貨幣は、、可能的[=潜在的]資本としての、利潤を生産するための手段としての、この属性ににおいて、商品にたいし一つの”特殊な”商品になる。

新日本出版社上製版資本論P570

または同じ事になるが、資本としての資本が商品になる。

新日本出版社上製版資本論P570 -571

左は、金融商品に転化した「企業者利得」

ギルバートとともにここで自然的公正(正義)について語るのは無意味なことである。生産当事者達のあいだで行われる諸取引の公正(正義)は、これらの取引が生産諸関係から自然な帰結として生じるということにもとづいている。法律諸形態….は、単なる形態であるから、この取引の内容そのものを規定する事はできない。この内容は、それが生産様式に照応し、適合するならば正当である。それが生産様式と矛盾するならば不当である。

新日本出版社上製版資本論 P572-573

上記は及び下記は「不労所得の正当化」の経済的根拠である。封建制では商業(利子)は卑しいものであったが、社会の生産関係が変化し革命されると、「経済活動の正義」も変化革命される。それが下記の奴隷制と資本主義生産様式での「不当」の根拠である

奴隷制は資本主義的生産様式の基盤の上では不当である。商品の品質をごまかすことも同じく不当である。

新日本出版社上製版資本論 P573

利子生み資本の段階になって、資本の物神性は新たに高まり、その最高の段階に近づいていく。「商品価値」は不労所得によって作られる。実体のない「利子」が価値を形成していくという「物神性」の完成。

以下3月はお休みで次回は4月第3に続く。

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