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笠木透さんの思い出 1

先日笠木透さんがお亡くなりになりました、心よりご冥福をお祈りいたします。

自分が名古屋に来てから知った方ですが、一時割とよくコンサートや本を聞いたり見たりしました。

IMG_20141228_124417 IMG_20141228_124406 IMG_20141228_124435かれこれ25年前になる「フォークス」のコンサート♪

当日は見に行ってその後「書店大地」に置いてあったので購入したものです。

曲目は

Vol,1

A面 1、谷間のテント 2、この光の中で 3,浜でばい 4、黄色い花 5キャベツ畑、 6、ジャガイモ畑 7、明日からダイエット

B面 1,陽の光をあびて 2,窓の外のケヤキの樹 3,アンモナイトの朝 4,白い波 5,長良川 6,Give me Chocolate 7,今日本人であること。

Vol.2

A面 1,何処へ 2,雲は流れる 3,ぼく 4,20歳(はたち)!

B面 1、峠 2,少年よ 3,おいで一緒に(山と川)。

以上です。

メンバーは、笠木透さん、安達元彦さん、赤木一孝さん、進藤了彦さん、松崎さんは名前がないのですが見た覚えがあるのは翌年だったのかな?、故坂庭しょうごさんも、坂庭賢亮名でもちろん出ています。当日ゲストで田口正和(我夢土下座)さんが「今日本人であること」を唄われました。当時は「我夢土下座」の存在も多分自分は知らなかったかどうか微妙です。

とにかく大所帯だなーという思い出と愛知文化講堂の客席に空席が目立ったことなど懐かしい思い出です。当時は昭和天皇が亡くなった後で、笠木さんが「この国の民主主義がこの様な形で壊れていくのを・・・」とコメントしていました、さすが!!

ほかに、「これが尾張のホレホレバンド」のライブに笠木さんと坂庭さんでゲスト出演しているテープも知人からお借りして聴いた覚えもありますが、、、

障害者のイベントにもよく出演されて腰に手を当てて仁王立ちして唄う姿が「何も自分は後ろめたいことはしていないぞ!」と言っているようにみえ本当に堂々としてカッコヨカッタ。

(つづく)

 

 

 


時々

いくつかの思い出も記録していこう。

時々思い出すのが1981年という自分が高校を卒業し大学に入った年だ。

当時名古屋はまだまだ「大いなる田舎」ではあったが本当の田舎から出てきたものにとってはやはり大都会だった。今住んでいる岩倉にしても田舎では全然ない。名古屋から電車で20分なんて名古屋市の一部だ。

大学1年の頃は障害者福祉研究会に入った。部員(会員?)は100名を越えていた(^_^;)そんな時代の名古屋市長はまだ本山さんだった。名古屋市中区にある小汚いアパートの一室に事務所が有り先輩に連れて行かれたところが「愛障協」略してASK、当時はKSL,ZSKなど頭文字?をとって言い合っていた。AKBやSKEのはしりかしらw ← Σヽ(゚∀゚;)チガウカラッ!

そんなところには鬼頭さんという事務局のおじいさん(?)やメガネが印象な中村さん、高橋せいきょう(だったかな?)さん、こぶしの会のメンバー、劇団うりんこの名前は誰だったんだろう?役者さんでないから代表さん?とかもうメンバーのアクが濃い濃い!!

高橋せいきょうさんと握手すると事務局のメンバーになるという伝説の通りになり、なんだか大人になった気分がしたものだったNoNoNo(゚ ェ ゚)b゙

確か愛知県との交渉の場なんかには豊橋の方からほぼベットな車いすにほぼ横になりながら参加してくる新堂さん?検索すれば正確な名前も分かるだろうが検索しているうちに何を調べているか忘れるし(^_^;)

もう「うるさい」障害者がわんさかわんさかww

「ヘーゲルを読む会」で福田静夫先生とその話をしたら「君その頃知ってるの?いやああの頃は良い時代だった、あんな時代はもう来ないよ」と言われその言葉がかなり悲観的に聞こえて悲しいというか寂しい思いをしたのを覚えているそれは3,4年前の話だが、、、

障害者が怖いと言う人もいるけれど本当に怖いのはその生き方の強さや激しさだと思ったし、そういうところに惹かれて今の自分があるのだと書いていて思い出した。