(途中から流れが変わって長文になってしまいました)

 もう記憶は無くなっていくばかりなので思い出したから書いて行こう。

 「伊勢神宮」はどうして「内宮」と「外宮」があるのか?

 子どもの頃は、内宮の「神さん」たしか近所の大人は「神様」と言わず「神さん」と言っていた記憶が(方言か?)。

 その内宮の「天照大神」に食べるものを奉納というか世話をするのが「外宮」に祀られている「豊受大神」という神さんというのが子どもの頃教えられた話しだった。

 しかし新日本出版社の新書「伊勢神宮」を読んでなるほどと思った。この「豊受大神」というのはもともとこの地方の豪族が祀っていた神で、土着の「神さん」なんだそうだ。
 そこに大和朝廷が勢力を伸ばし、この地「伊勢志摩」を征服し大和朝廷の神を祀ろうとした。多分地元の人を懐柔するために土着の神を「従属的」に残したのだろう。

 これを書いていて、今来日中のアメリカ合衆国大統領トランプと日本の「天皇(安部首相含む)」の事が結びついた。
どちらが「内宮」で「外宮」かは、言わなくてもでしょうか。

 ついでに言えば、終戦によって日本の支配層が守ろうとした「国体(国民体育大会ではない(^^;))」は戦勝国「アメリカ」に変わったのであり、戦前の日本の働く人々・民衆に対する支配制度は天皇制から「アメリカ(安保条約)」に変わっただけで、支配の構造はいまだに戦前と変わっていない。
 
 アメリカと天皇制(象徴という骨抜き)という2重の支配に押さえつけられている、ある意味戦前より酷い外国の占領が続いているが故の、政治的後進国だという本質が分かってくると「外宮」の神さんと家来、特に家来は「内宮」の神さんをもてなす役目にいそしむのだ。

 しかし、「日本会議」に集まる復古主義者は自分たち日本人が「内宮」を取り戻そうとしているのか?それとも「内宮」「外宮」関係の延長で「外宮」の力を大きくしようとしているのか。ちょっと勉強不足。

もっと伊勢市の自然や、人間について書きたいことがある。部落差別のことや宮川の少年刑務所とか、、この少年刑務所は正直怖かった、、、続く。昭和な写真も少し(^^;)