某SNSで書いたコメントをこちらにも、
以下。
「音楽はとどのつまりコミュニケーションだ」と言うことを言う人がネットの知り合いでおりまして、その人はマルチなプレーヤー、セミプロでしょうか。
始めはその意見に何を分かったような、と反発してたんですが、最近は共感の嵐です。
言いたいことは、何で音楽やっているのか、という抽象的な問題の建て方でなく、誰のためにやるのか、そういう問題の建て方です。
すると、例えばロビコンやこんどのさくらまつりでも、何のために歌うかではなく、誰のために歌うか自ずと答えも見えてきます。
だからこそ、反発したり意地になったりして問題から逃げていくんだけど。
確かに「音楽」的に優れているのは目標の一つにはなるでしょうが、それだけでは不十分さが残るのはこれまでの経験である程度認識しているのではないでしょうか?
必要なのは、音楽をやっている自分とやっている自分を見ている自分の両方に気がつくことでしょうか。
たやすいことではありませんよね。前者は個人練習を積む、後者は具体的にはお客さんという形になると思う。
ひとは、楽しそうな人を見ると楽しくなれるか?
自己満足に終わらない音楽ってあるんだろうか?
音楽は自分のため?
ぼくは思うんです、歌うのは別に問題なんではすでにないと。
IFJにとってうたうことはすでにそれ自体は問題にはならないと。
そして、次は誰のために、歌うのか。
それが問題なのか、それとも・・・
話は尽きません、、、つづく