この事実について、おばあさんは「もうことしも後4ヶ月しかないんだよ」
嫁は「まだ、半年近くもあるがね」
と言う会話が・・・
まあ、実の親子同士なので別に波風が立っているわけではないのだが、おもしろい!
そんな8月は、へーゲルを読む会の例会で始まった。
しかし、今日は地元の盆踊りに行かなくてはいけない。
例会も最初に予習ゼミについての意見を初めに言っただけで、報告者のレポートが終わる前に帰宅。
何という悔しさ!
きっと、あいつ言うだけ言ってさっさと帰ったぞ、みたいにも言われているかもと思うと
悔しい。
う~~ん、読んでやるぞ~~へーゲル、まっとれよ~~ (*`д´)
上記の本にもさらっと読んだら書いてあったが、マルクスの「観察者」読みが日本にはあまりにも多い。
そういう意味では「新カント派」が現在まで幅をきかせている状況が、『左翼』の中にというか、常識として多いのだそうだ。
言いたい事はつづく・・・
こんばんは。
>しかし、今日は地元の盆踊りに行かなくてはいけない。
例会も最初に予習ゼミについての意見を初めに言っただけで、報告者のレポートが終わる前に帰宅。
それはさぞかし悔しかったでしょうね。
そして、
>う~~ん、読んでやるぞ~~へーゲル、まっとれよ~~ (*`д´)
とは、何とも面白い。落ちをつけるところがさすがだね!
>マルクスの「観察者」読みが日本にはあまりにも多い。
おいらはちなみに、18歳の時からマルクスを読み始めて、今も読み続けているから、少なくともたぶん・・「観察者」読みじゃないんだろうね。十分、はまってます。
ようやく資本論は第二巻中盤、「資本の回転」読破、第10章の「諸学説」へ突入。
並行して、「ユダヤ人問題によせて」を再読中。
eudaimoniaさん
オチというか、正直な気持ちを書きました(^_^)
観察者のはなしは新カント派の話とからんででてました。
関係ないけど、日本人てカント好きな人多いなとヘーゲル読み出してからよく思いますよ。
>関係ないけど、日本人てカント好きな人多いなとヘーゲル読み出してからよく思いますよ。
そうですね。以前からしみじみそれは感じていました。
実は何をかくそう、「自律」や「人格」の重要性を説くカントの主張に、ぼくも高校時代は少し傾倒していました・・
結局、ヘーゲルやマルクスの思想が欧米に比べてあまりにも一般に浸透していないから、
カントで止まってしまう人が多くなるわけじゃないのかな?