Pete Seeger

録音してあったウィークエンド・サンシャインを聞いていたら、ウォール街でのOccupiedにピート・シーガーが両手に杖をついて参加していて、長老かくあるべし、みたいなリクエストを読んでいました。

え!知らんかった!私はさっそく検索したら一杯出てきました。

普段の小さい自分が恥ずかしくなる写真の数々でした。

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光市母子殺害事件 と 福祉大加藤学長

母校に関連することが話題になっているので少し。

以前数年前にまだ加藤先生が副学長であった頃同窓会の講演でお話を聞いた事がある。

その時は事件のことも知らず、しかし加藤先生のお話は非常に人間味のある話しであった。人間味とは暖かさや優しさではなくもっと深い人間に対する洞察に裏付けられた物で有り話しを聞いて帰って家族に事件のことを話すと、事件のことは知っていて嫌な顔をされた(凶悪事件というイメージ)が犯人についてはほとんど知らない。

これが自分を含めて「世間」一般の見方であるが、こちらの文章を読んで改めて加藤先生にエールを送りたい。

せっかくだから無断だが少し引用したい、なぜならこの文章に共感し、こういう悪い裁判、悪い社会であることを自分で読み返して時々自分を目覚めさせたい。

本来は被害者自体に適切な金銭的、生活的、心理的なサポートが必要なわけですよね。
そこが十分に果たされるという条件の中で、今言われた加害者の人権とのバランスがとれるわ
けだけれども、それが非常におろそかな状況の中では、不満や怒りの感情は加害者に向うしか
ないし、要するに自分の中にある、言い方は悪いかもしれないけれど邪悪な感情というか、もう
許せない感情が逆の凶悪さを生み出すような形で、まさに復讐の論理がそこで復活している印
象を受けます。だから近代法以前のところへ感情のレベルだけでは戻っている印象を受けます。
それから先ほど言われたマスコミ、裁判所の問題について私がかねがね思っているのは、マス
コミ報道で言えば、センセーションというのは被害者寄りの報道なんですね。それが何日も続い
て、それこそ三面記事と言われた小さな新聞紙面のときだったら、ベタ記事で出るようなものが
連日のごとく両開きで、しかも週刊誌を含めると長期間にわたって繰り返し繰り返し、そのセンセ
ーションの部分だけがやられるわけでしょう。真相解明で言われる、ほんとに事実をきちっと確定
していくプロセスというのは、小さく、少しシリーズでとらえて良心的に出すことはあるけれども、き
わめて限られたもので、その頃にはもうほとんど関心がないところで終わっていく。大きな事件で
も、あれは何だったかなというところで、判決だけ。それがマスコミの実情ですよね。
それから裁判所について言えば、量刑についてはすごく関心が高いけれども、真相解明につい
てセンスのいい裁判官がどうして育っていないんだろうと思います。もともと裁判は真相解明が命
のはずですよね。何でこういうことが起こったかということをきちっと世に知らしめることに裁判体の
仕事があるはずなのに、なんで裁判官が凶悪だっていう合唱団の指揮者になるのか。そういう仕
事だったのかなぁと錯覚を起こしちゃうような、その恐ろしさですよね。よくあれだけ言葉を並べて
凶悪だということの作文ができるなぁというぐらいの恐ろしさです。凶悪な人格があるとしたら、その
文章を書くほうが凶悪じゃないかと思うぐらいの気持ちになっちゃいましてね(笑)。ちょっと言い過
ぎているかもしれないけれども。もう少し精査して、人間というのは行きつ戻りつして、自分だって
ここに置かれたらどうなるんだっていう共感性だとか、その場をきちっと見なきゃ人権感覚なんて
生まれないですよ。それのないところで、判決だけは、量刑に照らし合わせて、被害者が3人か4
人かなんていう相場じゃないですよ。ほんとにその人たちがどうやって生きてきたのか、その軌
跡、どういう不条理の中でそこに至ってしまったのかをきちっと掲示して、それでもなお殺しますか
っていうことですよ。ほんとにそれでいいですかっていう問いを発する役割を、なぜ裁判体は放棄
するんですかね。そこが不思議でならないですね。せっかく長い時間をかけて、そりゃ完璧ではな
いかもしれないけれども、ほんとにていねいにていねいに主観性を含めたもう一つのストーリーを
掲示しているという点について、わずか2,3行の情状で終わらせてほしくないなって思います。
アベック殺人のことでいえば、やっぱり共謀の場所だって変化したわけですよ。そういう丁寧さを
見ていただいて、世に中身を問うてほしいですね。
それから判決文はやっぱり教訓的であってほしいと思いますね。裁判書きをきちっと読みたいと
言わしめるものを出していただく役割を果たせる人たちが裁判官になってるんじゃないですか、と
言うと皮肉に聞こえますけれども。そんな感じがいたしますね。

下線や文字に色をつけたところは自分が大事だと思ったところです。

 

再受験に向けて

今、福祉行財政と福祉計画を始めから読んでいる。

1ヶ月で1冊をスローリーディング。

読み物として読むと面白い♪
すぐ脱線してしまうので困るが。

しかし見事にサービス化された「福祉」について賛美された内容となっていると日記には書いておく。

 

関係ないがwordpressのダッシュボードやらの管理画面、Googleの各ページにある黒いバーの表示と似ている、というかパクッたのか?(^o^)

版画

最近もう脳みそが腐っているのではないかと言うぐらい腑抜けています

そんな父親を知ってか知らずか長女が作った版画を見て思わずう~ん、と唸ってしまいました。
生命力を感じる太い線、伸び伸びと育て子どもたち。

フォークジャンボリー仲間

今日は地元のフォークジャンボリーの仲間が社会福祉士受験のご苦労さん会をしてくれた。

感謝。

そしてなかなか哲学的な話もできて良かったぞ。

で、二月十九日にいわくらフォークジャンボリーロビーコンサートを、岩倉市市役所ロビーにて午後2時から行います、自分の歌う曲をさっきようやく決めた( T_T)\(^-^ )

痛い痛い

仕事中のケガでした。

日曜は試験ですね。
マークシートは中指で、と (@_@)

明日から連休

何てグッドタイミングな連休でしょう

できることから片付けていく事!

国家試験勉強中

勉強中です

年末のセミナーから。

スマホに単語カードのアプリ入れて人物カードや年号カードをつくって。これも一日最低2回はやらないと覚えないね、ちゃんとやらないと。

夜、テレビのクイズ番組を見ていて、「あ、こんなの答えないでカコモンのアプリやろう」という笑えない始末。

学校のレポートは一応昨日すべて提出したので、残りは国家試験のみ。

また明日ここに来て、勉強した報告を書くんだぞ←自分に。

プロメテウス

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例によって暇つぶしにamazonを見ていると、「プロメテウス」が一括で売っているではないですか!

全16巻で850円也w

発売先が book_kohnanと書いてあるので調べると、扶桑町の江南古書センターでした。

早速雪の中車を走らせたのは言うまでもありません。

この本はちょうど大学を卒業するとしに特装版として新書サイズで箱入りで売られたもので、欲しくてたまらなかったけれど、卒業の為に学費を稼がねばならず泣くなく諦めた限定ものでした。

宣言やド・イデ、資本論へ進んで行く過程を本にした伝記ですね。

テスト勉強終わったら読破するんだい!!

あと、実は持っていて学費に消えて売られて行ったもので「グラムシ選集」
これも探してみよう、待ってろよー(^_-)

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久しぶりに感動

昨日今日と久しぶりに連休。

気になっている試験勉強をアリバイ的に午前中やっていた。

昼飯を食べながら「新婚さんいらっしゃい」を見ていた、家族たちは「たかじんの…」とかいう政治ワイドショー番組を見ているから「そんなもの新自由主義の提灯番組だ」と思っている自分はそそくさとその場を逃げ出す。

午後からは読書、「おれたちの青空」佐川光晴、続きを読む。

女手一つで児童養護施設「魴鮄舎」を運営している女性と中学生が主人公で、その親や関わりのある人たちを描いている。

舞台は北海道、父が犯罪を犯し家族がバラバラになり東大進学率TOPの学校から来た子、見知らぬ男にレイプされて生まれ産んだ母から里子に出されそこで父が死に母から虐待を受けて来た子。
魴鮄舎の運営者の恵子。その人も男に裏切られ成り行きでここで施設からはみ出た子を受け入れている。

しんぶん赤旗の書評に出ていたのを読んで買おうと思った本。

レイプされて生まれた子が痛々しい、入所先の児童養護施設でさえそれをねたに指導員から虐められる。学校では言わずもがなである。

フィクションだろうが、小学校の学級崩壊の話も酷い。
運動会の騎馬戦・棒倒しで負けた担任のクラスが翌日から崩壊していく。親が担任の悪口を言ったため生徒がいうことを聞かない。

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これからもう一回頑張り直そうとクラスに言う担任、生徒無視。見兼ねた養護施設の子がクラスに向けてちゃんと勉強したいと言う。孤児であることを揶揄され、やるせない怒りの子が先生に助けを求めると、なんと「あなたのせいでまたダメになったじゃない、よけいなことをしないでよ」と担任に言われる。そして同じクラスの施設の子と「魴鮄舎」に学校から逃げてくる。

レイプされて生まれた子、身長はいくつか、と養護施設の指導員に聞かれ171と答えると「いいなあでかくて、まだ伸びそうだ。きっと、そいつもでかかったんじゃないのか。おまえのおふくろの部屋にしのびこんだやつもな」と。

まだまだエピソードはあるのだが、北海道大学の学生も出てくる。脇役ながら子どもの成長を結果的に後押しするようで面白い、北大には恵迪寮という寮が本当にあるのかと思って調べたら、ホームページもありました。

帯にある「内なる自立」を問いかける、という言葉も深い。

あ、まだ最後まで読んでいなかった(^_-)

続きを読むのが密かに楽しい、久しぶりに本を読む楽しさを教えてくれる本に出会えて幸せである。