今日は、一日ごろごろしていた、昨日の草取りで疲れた(^_^;)
来週は篠島に家族で行くので午前中に服やら、ゴーグルやらとホームセンターへ。
昨日他のサイトで本のブックカバーが可愛いので検索して調べると無料で配布されていた。
ブックカバーで検索するととてもたくさん出てくるのにびっくりした。
これはヤマハのサイトで作ったものの一つ。URLはこちら。
うーん、こどもに絵を描かせてつくってみようか(^_^)
今日は、一日ごろごろしていた、昨日の草取りで疲れた(^_^;)
来週は篠島に家族で行くので午前中に服やら、ゴーグルやらとホームセンターへ。
昨日他のサイトで本のブックカバーが可愛いので検索して調べると無料で配布されていた。
ブックカバーで検索するととてもたくさん出てくるのにびっくりした。
これはヤマハのサイトで作ったものの一つ。URLはこちら。
うーん、こどもに絵を描かせてつくってみようか(^_^)
今日は、社会福祉援助技術論のⅡとⅢの小テスト2を。公的扶助論は月末からでも間に合う。
最近寝苦しく寝れていない。今週は土日と休みだが知り合いのギターマンドリン合奏団のコンサートがあるので迷っている。「meets」で検索して下さい♪
今年のお盆休み前は学生ボランティアで一杯になりそう、彼らのための仕事も別に確保しなければ行けないので利用者が1.5倍になるぐらいの忙しさだろう、夏祭りで7月24日31日は仕事だし8月まで3週間日曜なしが今年も続くぞ・・・・
選挙にも行かなくては。政見放送を聞いていたら「みんなの党」とかいうとこの候補者が「法人税減税をして元気になって頂かないと・・・」と言っていた。そして、消費税だ。働いても人並みの「ほどほど」の生活さえ危うい社会。逆累進課税の「消費税」を上げて法人税を減税して、いっそこんな国など破綻してしまえ、と思う。
そしたら、目が覚めるのだろうか??
いずれにせよ身を粉にして働かなければ行けないのは同じだが。
「新しい者よめざめよ」とは大江健三郎の昔の小説のタイトルだ、「自己意識」はもう一つの相対する「自己意識」がなければ存在しないとへーゲルは言った。真面目に働く意識には不真面目な働く意識(享楽ともいう)が、絶対的な貧しさの意識にはかなり豊かな意識(きっと有り余って使い道に困るので株や賭博や投機に走る、その意味では貧しい)が、作用反作用のように存在しているのだろう。卑屈な意識には傲慢な自己意識。
田中美智子さんのブログを最近知った。元気だ。1922年生まれでも元気だ。大正11年だ。
障害者基本法だったか、障害者の定義を変えるらしい。障害(障碍)を乗り越えるものとしてでなく「個性」と。
いつからそんなやわな人間になったのだろう、日本人は。
詳細は後日書くが障碍を「個性」と法律で規定するのは大反対だ。障碍も従来の障害でもいいと思うし。この言葉狩り的な発想も思いっきり??なのだが、こんどは個性だ。現状追認も甚だしい。不平等をあらためるためらしいのだが、個人の意識をいじる政治には知性を感じない。
最近amazonでふらふらしていると大概お金を使わされてしまいます(+_+)
今日はタイトルのCDに出会って(?)しまいました。下記リンクです。
ここ。
オーティス・レディング
アレサ・フランクリン
マンハッタン・トランスファー
リンダ・ロンシュタット
カーズ
J・ガイルズ・バンド
リトル・フィート
プリテンダーズ
リッキー・リー・ジョーンズ(この人のお顔が大好きなのですが曲はあまり記憶にない)
ほとんど最近の発売だが(アルバムは昔の名盤ばかりですね)
もうひとつ、こちらは2~3年前から?発売されていたらしく輸入盤がほとんどで日本のレコード会社は割が合わなくて発売しない、されたら困る!ってところでしょう。
Original Album Classicsというシリーズです。こちらの方がロックでもマニアックだったり、グールドやジョン・ウィリアムズなどクラシックもあってGoodですね ♪
なぜこういうタイトルかというと
フランスにマルセル・プルーストという作家がいる。
代表作は「失われた時を求めて」だろう。
元来がコレクター的な私も、以前新潮社からでていた単行本、鈴木道彦訳と、ちくま文庫の井上究一郎訳の2つを持っている。
最近これのマンガ版が出ているのを知り(母国フランスではコミック版が出ていて、2巻まで邦訳版も出ている)のだが、amazonでコミック版を立ち読みしたら(中身検索とかいうのね)案外面白そうだったので、値段も1000円でおつりが来るぐらいだから買ってみた。
この内容はなかなかショックなものだった、というか面白いものだった。
僕はてっきり哲学的な内容を期待してたのだが、結構通俗的でわかりやすい内容ではあった、あくまでもマンガでの話しだが。
しかし、不思議なものだが内容が分かりかけてくるとこのとてつもなく長い話しを読んで見たくなるものなんだ。
先日日曜日はへーゲルな例会でした、もう『自己意識』です。自己意識も他の自己意識があって自己意識になる。
自己意識は真理のふるさと。
類。 ←ここらでようやくマルクスとの接点が (^_^)v
主と奴 (主と僕、主人と奴隷)、このお話しはやはり面白かったですね。
関係しそうな訳文をそのまま書き写すと・・・
ところが主は、物と自分の間に僕を押し込み、そのことによってもっぱら物の非自立性とだけ結びつき、物をひたすら享楽する。が、物の自立性の面は、物に働きかけ加工する僕にまかせてしまう。
これら2つの契機に於いて、主は他方の意識によって承認された有となる。なぜなら、この他方の意識は、・・・・そのため初めの意識が自分に対して行う事を、自分で行うという意味で、承認という契機が現存していることになる。
なんだか骨も身もない引用だが、主人は奴隷なしでは主人ではあり得ないし、奴隷が労働をするから「享楽」できる。ここで主人と奴隷の関係が逆転していくという事だそうだ。
主人と奴隷というのがどういう事を指すのか、資本家と労働者、あるいは家庭における夫と妻、支配するものとされるものとの関係に置き換えてみると、、、
身近で家庭などは、家事労働の問題とか、DVやら家庭内の暴力や女性差別云々といくらでも出てくる問題だ。
つよいものはよわいものを力や権威や恐怖にて支配する、奴隷が主人を「承認」するとへーゲルは言っている。ただ、一面的で不平等な承認が生じた、と言う。
「自立的意識の真理は僕としての意識である」。う~ん、書いていて思うがやはりへーゲルは積み上げていかないと理解が出来ない。時間の流れ(歴史)が基本にあるから後から振り返ると、ああそうだったんだ、と分かるんだが。
自己意識についてへーゲルの規定は本当にむずかしく、先生もそう言ってみえた。すこしはしょりすぎ、簡潔にまとめようとし過ぎているとのこと。しかし、自分という意識は、例えば話している自分と、その話している自分を見ている自分という2つの自分があるのだそうだ。哲学者は本当にむずかしく考えるとおもう。こういうことを聞くとつい自分は、一人の人間がパラノイアしているのかと思ってしまうが、一人の人間の二つの側面だそうだ。
本音と建て前。裏と表。確かにそう言うから二面性というのはあるよな、、、(^_^;)
自分の思いも、人類みんなのつまり「我々」の思い。私が辛い思いをしている「辛い」というのも個人的な感情だが人間誰でも持つ感情だ、妙に達観してしまったが。
類的な存在とか。ここに来るまでに自我の問題とかあったな、自我を実体化する問題などすっ飛ばしたな・・・
言いたい事がまとまる前に書き始めると意味がない、ナンセンスなだけだ、まとめる努力をしよ (+_+)
土曜日の今日は地元のフリーマーケットへ仕事で出店して利用者の製品を販売して来ました。
少し人の出が少な気味でしたが、朝からの雨では仕方がないでしょう。
元気なお母さん達の姿を見ていると何だか元気をもらった気がします。
さて、記念すべき10人目は、Billy Gibbonsさん
ZZ Topの方ですねw
検索したらトップに出た写真w
う~~ん、やっぱり聞いてないなー。。。ブギーなサウンドだそうで、しかもデビューは1969年!比較的超有名人の前座が多くそれでメジャーになるきっかけを ・・・と、wikipediaの情報を写していてもしょうがないですな。
じゃ、また気が向いたらお会いしましょ (^^)/~~~
本人も忘れ去っていた「100人のギタリスト」 (^_^;)
今日9回目(まだ・・・)はBilly Corgan ビリー・コーガン スマッシング・パンプキンズの方です。
もう今日はこれくらいで終わります(ぉ
なんか、家のかみさんは好きみたいでCD転がってましたが・・・
ジャケもキモイし
音もくどくてキモい
失礼しました~~ m(_ _)m
相変わらずむずかしい。来月の日曜日には「へーゲルを読む会」の新年度が始まる。新年度だが、すでに『自己意識』にはいっているのだ。
☆A 意識
一 感覚的確信 このものと思い込み
二 知覚 物とまどわし
三 力と悟性 現象と超感覚的世界
☆B 自己意識
四 自己自身の確信の真理 (今回はここなので少し細かい目次を・・・)
1.自己意識自体
2.生命
3.自我と欲望
A 自己意識の自立性と非自立性
1 二重の自己意識
2 対立する自己意識の争い
3 主と僕
α 主
β 恐れ
γ 形成
今回はここまで、次回は
四 自己意識の確信の真理 の B 自己意識の自由 ストア主義と懐疑論と不幸な意識 、です。ここからは8月例会です。
上記のB 自己意識の自由 ストア主義と~ が終わると 大見出し ☆C の 理性 に入っていきます。高い山はなかなか頂上の姿を見せません。
今回の「自己意識」ではそれまでの単純な対象から二重の対象性について触れています(触れているようです)。
「自己意識は真理のふるさとである」そういう言葉が始めのところで出てきました。意味は分かっていませんが意味深な言葉ですよね。
この「精神現象学」というのは『意識の経験の学』という副題がついているように『経験』を通じて、人間の「意識」の高まり・深まりの成長段階を、段階的にヘーゲルと一緒に階段を上っていく。そんなところが大きな特徴のようです(解説本にはそう書いてありますw)
現在の理解力では、とりあえずヘーゲルさんについていって何処に連れて行ってくれるのか。そんな確認の旅をしていると、格好良く言うとそうなりますか・・・
ただ、上記の『主と僕』のところは有名な節らしく(読んでも分からないが (/_;) ) 期待はしている。
asahi.com(朝日新聞社):マイケルさんファン、路上でゲリラライブ 急死から1年 – 社会.
NHKの7時のニュースでもやっていましたが、言いたい事から言うと『死んだ人間を食い物にしている音楽業界』とでも言うのだろうか。
マイケル・ジャクソンって亡くなる前は本当に何処へ行っても児童虐待など、ゴシップ記事の標的だったし、マスコミの報道のスタンスも音楽性ではなかった。
と、思う。
亡くなった人の悪口を言っているのではなく、この盛り上がりはそれを利用しているニュース番組や多分背後に隠れている(いないか?w)業界の意図的なものを感じる。彼が生前あれだけ変人扱いされていた(言い過ぎ?w)雰囲気と映画の再上映とのギャップ。倉木麻衣なんかも大ファンだったとFMで言っていたが、どういうところに影響されていたのかはまるっきり伝わってこなかった。『とにかく全部好きだった』何て言ってた、その番組では。
何が言いたいかというと、多様性に向かっている音楽の世界にまったく逆行しているこのお祭り騒ぎに異論を唱えたいのだ。
マイケルがどうのこうのと言う前に、広く世界を見れば自らの民族的ルーツを元にそれをより普遍的にグローバルに伝えていく地道な努力をしているミュージシャンがたくさんいる。
少し下火になってしまったが、『アイリッシュ』や『アメリカーナ』や、またそれらとも交流しているアフリカの音楽とか。
先日のBeatlesリマスター祭り(^_^;) なんかもそうでしょうか。いい加減過去の終わっている『進化』にしがみつかないで現代のジョン・レノンでも探した方が、というかそれも二番煎じですね (^O^)